3月3日

 2月29日の舞台稽古はたっぷり時間をかけて、約7時間で終わりました。橋之助さんは風邪気味でちょっと熱っぽいとのこと。
水車小屋のプールの水が、思いの外冷たいので大変だとおっしゃっていました。9月の南座の時はまだ残暑真っ盛り、暑気払いで気持ち良さそうでしたが、今回は3月ですから本水を使うにはまだ寒いです。前回出演していた染五郎さんも見に来ていました。
 3月1日は初日、夜の部一回公演ですが、昼間は11時から本番通りに幕間を取って通し舞台稽古。皆衣装は着けていましたが、顔は素での舞台稽古です。全体の時間や早替わりの時間を計ったりしなくてはなりませんので科白を間違えたりトラブルがあっても止めないで進めます。最後の舞台稽古もすんなり進み、4時半初日(夜の部一回公演)が明きました。
 南座の時より大分中身が短くなっています(場数は二場カットで台本は2ミリ薄くなりました)。かなりぽんぽん話が進みますのでよく筋書きを読まないと話の分かりにくいところがあるかもしれません。
 
 2日は歌舞伎座の初日なので挨拶も兼ねて「歌舞伎草紙」が明いたころ楽屋に行って袖から見ていました。登場人物が多いので落ち着くまでが大変そう。終わって皆さん舞台から帰ってきたところで御挨拶。あらためて出囃子の香盤(出欠表)を確認したら、歌舞伎座にいる人で足りるので私の「歌舞伎草紙」の出番はなくなりました。「せっかく覚えたのにもったいないからちょっとだけ出れば」とか「僕が替わってあげよう」とかワイワイやっているうちに演舞場に行く時間になりましたので歌舞伎座を失礼して演舞場へ。2日は昼夜二回公演。
 今日3日から6日までは昼の部一回公演。
舞台稽古あたりからちょっと疲れ気味だったのでちょっと一息という感じです。今日は朝から暖かかったので気持ち良かったですが、こういう日は花粉も一杯飛んでいて花粉症の人には辛いそうです。舞台は埃っぽいし外は花粉が飛んでいるし、今月はうがいや洗眼を心掛けよう。

3月4日
 
初日が明いて4日。舞台の方はもう何のトラブルもなく順調に進んでいますが、台本のカットがあったり、出入りの仕方が替わったり連日細かい変更があります。
台本がすっきりしたのでこちらの用事も大分少なくなり、南座の時は覚えるのが大変でひと月台本が離せなかったのに、今回は自分の担当しているところはもうだいたい頭に入ってしまいました。
 
 水車小屋の場面に転換になって、水の入ったプールを大道具さんが大勢で木の板でかき回しています。見ているとお風呂をうめているように見えて何だか面白いぞ、と思っていたら、水では冷たいので少し暖かくして温度を調節しているそうで、本当にお湯(お水)をうめていたのです。あのあたりは走って出てきたり立ち廻りがあったりで身体は温まりそうですが、今の時期の生の水に入るのは冷たいですね。この本水の立ち廻りも毎日少しずつ変化がありまして見ていると面白いです。
 今日は翫雀さんが水を口に含んでぷーっと霧吹きをやったのを見て橋之助さんが同じように口で霧吹きをやったり、お二人のその時の状況でいろいろなことが起きるようです。客席への水飛ばしもだんだん派手になってきまして、今日は3列目くらいまで飛んでいました。こういう立ち廻りの時は黒御簾にも結構しぶきが飛んできたりして用心するのですが、今月は今のところ大丈夫です。
 ひどかったのはコクーン歌舞伎の「四谷怪談」の時の事。舞台中央の大きな水槽を使った大詰の立廻りで捕手が次々に水の中にトンボを切るのですが、皆派手にしぶきを立てて飛び込むのです。ある日これを黒御簾の目の前でやられて黒御簾内は水浸し、私は三味線の天神(糸巻きのある部分)に水を浴びて糸巻きが全部ズルッと返って演奏不能になりました。

3月8日
 
今朝の日比谷線の事故は大変でした。
私は今月演舞場なので、東武線鐘ヶ淵から北千住経由日比谷線で東銀座に出ています(歌舞伎座に通うときは浅草に出て銀座線で銀座)。今日は序幕の替わりを頼まれていたので9時頃家を出たのですが、9時台の日比谷線上りは結構混んでいるのを思い出し浅草回りの銀座線で銀座に出ました。銀座線の中で「日比谷線が事故で止まっています」というアナウンスを聞き、「こっちで来てよかったなあ」なんて思いながら楽屋に入ったのですが、その後事故のことを詳しく聞くと亡くなった方もいらっしゃるというのを聞いてびっくりしました。
毎日利用している都心の地下鉄でこんな事故が起こるなんてとても想像できませんが、いったい何が原因だったのでしょうか。
 思えば「地下鉄サリン事件」の時も3月の演舞場(播磨屋さんの「鬼平犯科帳」をやっていました)どうも変な偶然です。あの時も朝テレビをつけると築地本願寺の前が只ならぬ状態。いったいどうしちゃったんだろうという感じで、テレビを見ていても情報が錯綜していてはっきりしないので家を出ました。
 その頃私は千代田線の綾瀬に住んでいまして、千代田線で日比谷に出て日比谷線で東銀座という経路で通っていました。日比谷に着くと日比谷線が不通なので歩いて演舞場に向かったのですが、三原橋の交差点から先、歌舞伎座の前から晴海通りが通行止めで、パトカーのサイレンが鳴っていて機動隊が出ていたり騒然としています。歌舞伎座近辺の地下鉄の入り口も全部シャッターが降りて通行禁止。これは本当にとんでもないことが起きたのだ、とおっかなびっくり演舞場まで行って楽屋のテレビを見ているうちに「サリン」という毒物による事件だというのが分かりました。
 役者さんの中にもその電車に乗りあわせた人がいまして、幸い大事には至りませんでしたが途中から体調が悪くなり病院に行ったりと、楽屋の中も騒然としていてどうも一日落ち着かなかったのを覚えています。さすがに帰りは地下鉄に乗る気にならずなるべく地上を通って帰ってきましたが、その夜は家族や親戚から「大丈夫だったか?」という電話がたくさんかかってきました。その後事件の詳細がはっきりしてきて、犯人の一人が綾瀬から乗っていたというのを聞いてゾッとしました。本当にこういう物騒な事件は二度と起きてもらいたくありません。

芝居の方はまた変更がありました。当初カットされていた二幕目終わり近くの、お早(扇雀さん)の幽霊が復活しました。

3月10日

 私たちが使う三味線の糸ですが、菊五郎劇団音楽部と里長社中の三味線弾きで年に一度まとめて注文します。毎年1月に楽屋で注文を取って集計し滋賀県の糸屋さんに直接頼み、送られてくるのがいつも3月上旬で今年はそれが今日歌舞伎座に届きました。
 約20人分の糸ですから大きな段ボール二箱に入って届きます。本数も大変なもので、三の糸(一番細い糸)だけでも約9000本、二の糸約5000本、一の糸約1000本ですから、この仕分けがいつも結構大変なのです。糸の注文は「13の三」極上500本、「13の二」極上200本、「15の一」極上100本といった具合で頼みます。「13、15」というのは糸の太さ、ランクが極上、並とあり、人それぞれ本数、太さなど違いますので全部仕分けが終わるまでにたっぷり1時間かかりました。
 その年の仕事の具合で残る糸の本数は毎年違ってきますので、注文の量も年ごとにいろいろになります。私は二の糸、一の糸が結構余っていたので、今年は三の糸500本、二の糸50本の注文で42000円になりました。
 この注文も本数の読みを間違えるとその年では使い切れずに、2年3年経ってもまだなくならないなどという「ビンテージ」状態になってしまいます。三味線の糸は湿気て古くなると切れやすくなり音の艶もなくなりますから、三味線の糸は絶対「ヌーボー」に限ります。

「小笠原騒動」は今日からまた一回公演が続きます。

3月17日
 
3月27日に歌舞伎座で俳優祭があります。
いつものお芝居のほかに役者さんの長唄や清元の演奏がありますが、先月の博多座でその稽古が始まっていました。
長唄「勧進帳」を立唄芝翫さん、立三味線仁左衛門さんで演奏するのですが、そのお手本テープの録音に私も参加したり、唄本作りや役者さんが集まっての合同の稽古に立ちあった人もいたりで博多座の後半はみんな結構忙しかったです。東京に帰ってきて暫くは当面の仕事がありますので私もすっかり忘れていたのですが、4,5日前に稽古割りが張り出され、私たち長唄の方でも当日の演奏の後見やお手伝いの打ち合わせ、役者さんもお囃子の稽古をしている人、曲の抜けるところを聞きに来る人、とだんだん慌ただしくなってきました。
私も俳優祭当日はお手伝いで山台の後ろに控えております。

 今日はすごい風でした。お天気が良かったので帰ってきてから自転車を乗りに行ったのですが、河川敷に行くと凄まじい風で風に向かっては全然走れず、横風をくらうと倒れそうになるし、前からごみは飛んでくるし走るのは諦めてすぐ帰ってきました。距離は短かったのに「風」という負荷が掛かったので思いのほか運動になったようで、帰ってきたら少し足にキテいました。

3月26日
 
23日に「BEN'S CORNER」オープン一周年となりました。一周年だから何か書かなきゃ、と思っていたのですが、演舞場は2回公演が続いているし、復習うものはあるし、俳優祭の稽古があったり急に忙しくなってしまい、25,26は別の仕事で神戸に行っていたので、ずいぶん間が空いてしまいました。

あらためまして、一年間「BEN'S CORNER」に来ていただいて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

 昨日神戸にて面白かったこと。
舞踊会の下浚いが終わって皆で食事に行くのに三宮の繁華街を歩いていると、向こうからお相撲さんが歩いてきます。
「そういえば相撲はどうなったんだろうね」なんて言いながら通りすがりに顔を見ると、何と!今場所幕じりで優勝か?と話題まっただ中の貴闘力でした。こんなところで遊んでいるということは優勝が決まったのか、それとも負けてしまってげん直しか。
早速iモードのニュースで調べると曙に負けて2敗、優勝は千龝楽に持ち越しとのことで、ぱーっとげん直しだったようです。後で聞いたところによると貴闘力の実家は神戸だそうで、この辺をぶらぶらしていても別に不思議はないのですね。

 本日は舞踊会の本番だったのですが、夕方5時過ぎに楽屋のモニターを相撲の中継に替えると、もう結び近くで話題の貴闘力登場。なにしろ昨日本物を見てしまっているので皆、気になっています。相手は雅山だし大変かな?なんて思っていたのですが土俵際で体を入れ替えて貴闘力、見事優勝!良かった。

明日は俳優祭、「勧進帳」のお手伝いで山台の後ろに控えております。

3月27日
 
さて俳優祭当日です。
10時半頃楽屋に入るともう楽屋の廊下は人で一杯!準備で皆走り回っていますが、まあしかし人の多いこと。
11時を過ぎると「勧進帳」出演の役者さんが三味線を持ってきたり、楽屋入りした福助さんから三味線をお預かりしたり、私たちも楽器の支度で大忙し。
 仁左衛門さんのお部屋で本番前に一度復習うとのことなので、お部屋に伺いました。一通り稽古が終わり、紋付きに着替えを始めた仁左衛門さんが「お師匠さん方の三味線ちょっと弾かせてもらえませんか」
本番でお使いになる三味線がどうも弾きにくいのか、私たちが予備に持ってきた三味線を取っ換え引っ換え弾いてみると「あ、こっちのほうがええわ。これ貸してもらおう」本番前に急きょ楽器の交換となりました。
 そのあとも楽屋で最終的な三味線の準備をするうちに慌ただしく時間が過ぎ、正午俳優祭の幕が明きました。舞台裏で待っている時には皆リラックスしていましたが、山台に乗り緞帳があがると舞台は大変な緊張感!。唄がばらばらになったり、三味線と鳴物がずれたり、何度かクラッシュしそうになりながらもまあ無事に演奏は終わりましたが、同じ舞台に出るのでも芝居をするのと楽器を演奏するのでは使う神経が違うのか皆さん汗びっしょり。糸巻きが返ったり糸が切れたりといった三味線の事故もなかったのでよかったです。
 夜の部は二回目ということもあり前半はとてもまとまっていたのですが、二上りくらいから皆さんお疲れになったのか所々ばらばらになってきて、滝流しあたりでは全体的にかなり危うい所もありました。うしろで声をかけたり山台を叩いたりして軌道修正をしながらどうにか段切れまでいきましたが、いやー、夜の部の方は疲れました。

3月28日
 
今日は文京区の「シビックホール」というところで勘九郎さんの親子会がありました。シビックホールは、文京区役所の建物の中(26階の高層ビル、とても立派!)にありまして、これまたきれいで立派なホールです。
 演目は、はじめに勘九郎さんと小堺一機さんとのトーク、そのあと踊り二題、勘太郎さんの「七福神」、勘九郎さん・七之助さんの「連獅子」です。本番前に時間があったので、25階の展望ホールに行ってみました。あいにく雨が降りだし見晴らしはよくありませんでしたが、お天気が良かったら気持ちいいでしょうね。
花粉症だか風邪を引いたのか、どちらかよくわかりませんがどうも頭が重くてすっきりしません。明日からは4月歌舞伎座の稽古が始まります。

3月31日
 
久しぶりの「髪結新三」ですが、2時間半という上演時間は長いですね。座りっぱなしの弾きっぱなし。この黒御簾は持久力、体力勝負です。ずっと座っていたので足の甲の筋が伸びてしまったのか歩くと痛いです。早く身体を慣らさなくちゃ!

 今日は午後、家内の親戚の方の結婚式がありまして、「新三」の稽古を終えてから信濃町の明治記念館へ。披露宴に出席するだけなら呑気で良いのですが、何か一曲弾いて下さいとの新郎からの御用命で、三味線と着物を持っていますので気が変わらずどうも結婚式に行くような感じではありません。何を弾こうかいろいろ考えた結果、家内が鼓を打って「島の千歳」の二上がりでお祝いさせていただくことにしました。会場について控室で待っていると司会の方が打ち合わせに見えて、
 「島の千歳はどこからおやりになるのですか?三下りで始まって、本調子、二上りとなりますね」
私「始めをちょっとアレンジして二上りの合方からあとをやらせていただきます」

 品のいい年配の方で、お話をしていてずいぶん詳しい方だなと思っていたのですが、式が始まって自己紹介をされたときに「司会を務めさせていただきます喜熨斗○○と申します」
ごく一般の方なら何も気にしないと思うのですが、歌舞伎の世界で働いている私としては「喜熨斗さん」といったらすぐ沢瀉屋御一家が浮かんできます。長唄のこともやたら詳しいし、ひょっとして関係の方かと思い伺ってみたら「私は猿之助のおじに当たります・・うちの父は市川小太夫でして」
 何と!関係の方どころの話ではなく全くの沢瀉屋のお身内。猿翁、中車、その弟の市川小太夫さんの御子息だったのです。お顔は何となく猿翁さんの面影がありまして、若いころには少し役者もやられたのですが今はプロの司会者で御活躍とのこと。どこでどんな方にお目にかかるか本当に分かりませんね。
 宴は進み、私たちの演奏もどうやら無事に終わりまして披露宴は賑やかなうちにお開きとなりました。そのあとは赤坂で二次会、今度はサンバで大騒ぎ。というのも、新郎は浅草のサンバカーニバルの常連チームのメンバーで、そのお仲間が生でエキサイティングな演奏をたっぷり聞かせてくれました。面白く楽しい結婚式でした。

4月1日
 
今日は一日舞台稽古。「鰯売」の舞台稽古の途中に、篠山紀信さんが8×10の大判カメラと照明を舞台に上げて玉三郎さんの撮影をしていました。皆は楽屋に帰ってしまったのですが、私は紀信さんの撮影のプロセスが生で見られるので興味津々、ずっと黒御簾にいました。20分くらいで撮影は終わり再び舞台稽古再開、その後も思いの外順調に進み、最後の「髪結新三」も9時に終わりました。

4月7日
 
初日が明いてもうじき一週間、身体がようやく「髪結新三」に慣れてきました。「髪結新三」の黒御簾は数ある芝居の中でも大物ベスト5に入ります。だいたい世話狂言というのはどれでも黒御簾の用事は忙しく、特に三味線ははじめからお終いまで弾きっぱなしということが多いのですが「髪結新三」の場合は上演時間が約2時間半、この間ほとんど休む間がありません。永代橋の場あたりまではきっかけが次々にやって来て合方もいろいろ替わりますのでとんとん進みますが、新三内からは一つの場で弾く曲はほとんど同じになります。大家と新三のやりとりの件になりますと一つのきっかけを10分くらい弾き続けることになり、その間も科白や芝居の具合で細かくノリや強弱が変わりますので気は抜けないし一番大変なところです。芝居は一番面白いところですから、つい芝居に気を取られて笑ったりしていると三味線がバラバラしますので舞台はあまり見ませんが、科白を聞いているだけでも面白いし、世話狂言の黒御簾を満喫できるのでやりがいがありますね。
 勘九郎さんと富十郎さんのやりとりもだんだん息が合ってきましたので、これから面白くなっていくのではないでしょうか。

4月13日

いやー、暖かくなりました。
毎日東武線で隅田川を渡っていますが先週末あたりは桜のピーク、墨堤は見事な景色でした。今月の私の仕事は「髪結新三」と「鰯売」を半分(鰹ではなく鰯は半分)弾いています。9日の日曜日は「新三」であがりだったので、家内と浅草からぶらぶらお花見をしながら家まで歩いて帰ってきました。
 来月松竹座で播磨屋さんの「巴御前」が再演されます。去年の10月、金毘羅歌舞伎舞踊公演での初演の時には曲を覚えるのに時間が無く、初日が明くまでの不安や苦労が昨日のことのように思い出されますが、今度はあんな思いをするのはまっぴらなので早めに取り掛かっています。前に一回やっているというのは有り難いもので、譜面を見ながら毎日復習っているうちに物語や曲がだんだん繋がってきましたが、いかんせん長い曲なのでやっぱり大変。頑張って20日くらいまでには覚えちゃいたいなあ。
 播磨屋さんといえば来月は久しぶりに「籠釣瓶」がありますし、6月は博多で「俊寛」に「河内山」と私の好きな芝居が続きます。播磨屋さんの「悪に強きは善にもと・・」の件は毎日黒御簾で三味線弾いていて本当に楽しく気持ちの良いひとときです。
 気がついたらいつの間にか10000カウント突破!これからもよろしくお願いいたします。(私は10005番ゲットしました)

提灯には向島の芸者衆のお名前が入っています

4月16日
 
今月の「髪結新三」は立廻りが終わったところでチョンチョンと柝が入り、勘九郎さんと仁左衛門さんとで「まーず昼の部はこれぎり」となって打ち出しなのですが、今日は勘三郎さんの御命日ということでお二人のミニ口上になりました。
心温まる仁左衛門さんのお言葉に勘九郎さんの御挨拶、私も勘三郎さんのことを思いだしてちょっと感無量でした。

 思い出といえば私には「勘三郎さん宅お稽古場土下座事件」というのがあります。
 今から15年くらい前、私がこの世界に入って間も無いころですが、勘九郎さんが初役で「俊寛」をおやりになるということで、小日向の勘三郎さんの御自宅で稽古がありました。栄津三郎さんと二人でお稽古場に伺ったのですが、私も役者さんの御自宅の稽古場なんて初めてでしたから初めから緊張していました。そこにきてその日はどういう訳か勘三郎さんが御機嫌が悪くて、稽古の間怒りっぱなしの怒鳴りっぱなし、稽古場の中はおそろしく張りつめた雰囲気になっていました。
 そんな中稽古は進み「俊寛」には幕切れ近くに「上下(うえした)」という仕事があります。これは以前日記に書きましたが、竹本さんの三味線と長唄の三味線が合奏するもので若い人が弾くことになっています。当然この場合私が弾きますので竹本さんのそばに行かなければならないのですが、竹本さんは稽古場の反対側にいます。稽古場の真ん中には勘三郎さんが座っているのでそこに行くには勘三郎さんの前を通らなくてはなりません。
栄津三郎さんに「通るときちょっと挨拶してね」と言われて、緊張が着物を着たようになった私、ギクシャク歩き始めて勘三郎さんの前で正座して三味線をおいて手をついて「ハハァ」とひれ伏したのです。怒りっぱなしだった勘三郎さん、急に目の前で土下座をされて「ん?」となり、怒るのを忘れてつられてぺこっと頭を下げてしまった、というのが「土下座事件」の顛末です。
 栄津三郎さんとしてはちょっと会釈して、くらいのつもりで言ったのにいきなり私が土下座をしてそれに勘三郎さんが反応したのが、見ていてもう可笑しくてしょうがなかったそうです(こっちは緊張して歩くのに右手と右足が一緒に出るような状態だったのに)
 緊張のうちに稽古が終わりずいぶん遅い時間になってしまったので、お弟子さんに「電話をお借りしたいのですが」というと「こちらへどうぞ」といって連れてこられたお部屋。ドアをあけると勘九郎さん御一家に波野久里子さんがお食事の真っ最中、何とリビングの電話に連れてこられたのでした。「あ、あのお電話を拝借します」といって緊張しながらうちに電話をしました。
 「もしもし、あのわたくしですが、遅くなりまして、どうも、えー只今より帰ります」
変な口調でしゃべっているので、母は私が飲んで遅くなり酔っぱらって電話をしてきたのだと思い「何変なしゃべり方しているのよ、まだ飲んでるの、早く帰ってきなさい」
そこに勘三郎さん、勘九郎さん、久里子さんいるのに「今から帰るからねー」なんてしゃべれませんよね。

ずいぶん緊張した一日でしたが、今では楽しい思い出です。

4月28日
 
すっかり間が空いてしまいまして失礼いたしました。

 東京にいて芝居が落ち着いてしまうと毎日の自分の行動にさほど変化がありませんので、書くことを考えていてもどうも自然にスッと浮かんでこないのですね。毎日ディスプレイを眺めながら考え込んでいるうちに26日は歌舞伎座が千龝楽。
 勘九郎さんの「髪結新三」の黒御簾も今回で3回目ですが、やっぱり世話物の王様。こんなに持久力(上演時間2時間20分ほとんど弾き詰め)と集中力(2時間20分の間、科白を全部聞いていないと合方の微妙な活け殺しに対応できない)が必要なカゲはめったに無いと思います。
 27日は東京で「巴御前」の稽古、今日28日は仁左衛門さん襲名の5月以来、2年ぶりに大阪にやって参りました。
1時から「籠釣瓶」、3時から顔寄せがあってその後に「巴御前」の稽古。やっぱり二回目というのは有り難いもので、物語も分かっていますし曲も時間をかけて覚えられたので初演の一回目の稽古の時(1999年楽屋日記10月)のような「悲壮感」はありませんが、稽古が始まり弾き出してカッカしてくると2,3ヶ所わからなくなるところがありました。明日は舞台稽古ですから怪しかったところを整理しないといけません。
 終わった後、播磨屋さんからいろいろ御注文があり私も横で聞いていたのですが、「・・と、まあこんなことでよろしくお願いします。というようなことがあった、というのを(私の方を向いて)またホームページにね・・」!!!

お嬢さんがプリントアウトしているとおっしゃっていたので、ひょっとして播磨屋さんもご覧になったのでしょうか?