2月23日
「明けましておめでとうございます」
を申し上げないうちに1月が終わってしまいまして、今月は博多座に来ております。
その博多座公演もあと2日で千穐楽。
大変遅ればせではございますが「本年もよろしくお願い致します」
年明け、ハードな1月でした。
朝、序幕の「操三番叟」を弾いてそのあと「加賀鳶」。2時間空いて夜の部の「土蜘」を終わると夜8時近くなります。朝10時の楽屋入りから1日の実に長い事。
家に帰ってから次の朝の来るのはどういうわけかやたら早くてまた1日が始まるのですが、その割にはどうも日にちの過ぎるのが遅い一ヶ月でした。
昨年の1月から一年ぶりの播磨屋さんの「土蜘」ですが、より練り上がった感があり格調のある舞台だったと思いました。「土蜘」というと智籌の「出」と、正体を現してから一太刀浴びて花道を引っ込むまでのところが私は大好きでゾクゾクッとするところです。
毎日山台で弾いていればさぞかし堪能できそうなものですがこれがそうはいかなくて、まず「出」は張りつめた雰囲気の中、ノリもゆっくりなので神経を使うところ。とても花道の方を見ている余裕はありません。あとここでは目線はなるべく自然にするようにしています。何故かというと私たちの目線が花道の方にいっていると智籌さんが音もなくすーっと出てくるのがお客さんにわかっちゃいますからね。
次の太刀持ちに正体を見破られてから引っ込むまでのところはこのお芝居中最も緊張感の高まるところで曲も早くお芝居も盛り上がります。ここは曲のノリも微妙でして早いところはかなりな勢いになるのでとにかく目線、耳など右方向に集中して弾かなくてはなりません。しかし目の前では動きが激しく忙しい状況になっていまして、何かこう落ち着かないんです
まずはふわーっと飛んでくる蜘蛛の糸。これきれいに広がるので「!」ちょっと気をとられたりしましてね。そのあとちょうど私の前に二畳台がありますので頼光さんと智籌さんが入れ替わり数珠を両耳に当てての見得がありまして(ここが曲のノリ最速地点)このあと智籌さんが後ろに放った数珠が飛んでくる。それを後見さんがナイスキャッチ。この辺は隣の人の撥から目が離せないので舞台を見ている余裕はないのですがそれでも視界にいろんなものがちらちらと飛び込んできます。
いいところなのにここばかりは山台にいるとまったく見ている余裕などありません。一度ゆっくり客席から見てみたいです。
私がこの仕事に入った頃ですからもう20年くらい前ですね。歌舞伎座で松緑さんの「土蜘」がありました。別の芝居で用事があって私も歌舞伎座にいたのだと思いますが、智籌の花道の出を毎日黒御簾から見ていました。
子供の頃から松緑さんの「土蜘」は大好きでそれまでに何度も見ていましたが、今までと違って黒御簾からだと正面の姿、お顔を見られるわけです。
その貫禄、凄み、もうこれは鳥肌が立つくらい素晴らしかったです。これはこの仕事に入ってからの私のワクワク体験、思い出の一つです。
1日に座っていられる「正座力」というのには限度があるようです。合引(正座用の小さい台)は使っていますが、1月は足が痛くて参りました。
「操三番叟」が30分、30分というのはちょうど痺れが切れる中途半端な時間。
「加賀鳶」が1時間40分、これもゆすりになってからが長くて1時間座りっぱなしの弾きっぱなし。終わるとだいぶ足にダメージがきています。
最後に1時間20分の「土蜘」。間にはなるべく水気を取らないようにして食事も軽くして楽屋でもなるべく座らないようにしてるのですが、胡蝶のあたりで感覚が無くなってきます。これはかなり憂鬱、先の思いやられる状況で痺れが切れたあとは痛くなる一方ですから合引の下で足を動かしたりちょっとくるぶしを逃がしたりして感覚を戻すんですけど1時間超えるともうダメですね。この痛みも「痺れ痛い」んじゃなくて足首付近の骨が痛くなるんですからたまりません。
初日、二日目くらいでなんとかこの具合がわかってきていろいろ自分なりに対策を考えるんですが今回はそこに新たな症状が!。
普段ですと痺れるのは三味線を乗せている右足です。長いこと座っていても左はほとんど痺れないのが、先月は座り方が悪いのか体が左に曲がっているのか左足がすぐに痺れるようになりました。これを直すのに弾いている最中左足を動かして感覚を戻したりしていたんですが、そのうちに左足の甲に擦れたような痛みが走りました。これはしゅっちゅう動かしていたので足袋の縫い目と足の甲が擦れてヒリヒリしてきたのかな?と思っていたらそのうちにこのヒリヒリが焼けるような感覚になり大薩摩の頃にはもう我慢できないくらいの痛さになりました。とにかく今までに経験した事のない痛さというか我慢できない感覚だったので「こりゃどんなことになっちゃったんだろう」とその日終わって、楽屋に帰って足袋を脱ぐとちょっと赤くなっているくらいでそんな悲惨な状態にはなっていません。結局何が原因だったのかよくわかりませんが足を動かさないようにしているとその症状が出てこないのがわかってきまして、どうにかなりました。
正座というのは体重があればそれだけ痛いわけですが、「土蜘」が終わったあとは痩せている人でも「痛くてイヤんなった」とこぼしているくらいですから、これは単に正座するには長い時間なんだろうなと思いました。
毎日正座地獄に悶絶しながら思うのが、正座による血流不良で「エコノミークラス症候群」のようなことが起きないかなぁ?という事。国際線など長時間飛行機で体を動かさないでいるとああいった症状が起きるわけですが、機内では普通に座っていて体も自由に動かす事が出来ます。こちらはというと足の血流は止まっているし体は動かせない、とよっぽど過酷な状況にあるんですが、考えてみりゃ日常10時間以上も続けて正座する事はまずないわけで、まぁそんな事はまず起きないんでしょうね。
我慢我慢の1月が終わって翌27日には博多乗り込み。
「三国一夜譚」は私、初めてのお芝居です。長い芝居ですから稽古中は一日中稽古場に居っきり。こういう芝居だと一番大変なのは舞台稽古なんですが、これが以外にスッと進みまして怒濤の稽古が終了。2月1日初日が明きました。
博多は生活しやすいし食べ物も美味しいので一ヶ月居ても退屈しません。今月もマンション生活なので毎度の通り毎日鍋生活。そんな博多もあと2日でお終いというところまできました。
4月5日
隅田川の桜もちらほら咲き始めまして気持ちの良い季節となりましたね。
また間が空いちゃいましたが、先月に引き続き「十八代目中村勘三郎襲名披露興行」で今月も歌舞伎座で働いております。
2月25日、博多から帰ってきまして1日お休み。翌日から3月歌舞伎座の稽古が始まりました。襲名特集の番組でも「稽古初日の顔寄せから勘三郎を名乗る事になるのかなぁ」とおっしゃっていた勘九郎さんですが2月27日にその顔寄せがありましてピリッと引き締まった雰囲気の中、十八代目勘三郎さんのご挨拶がありました。
その後、附、総ざらい、舞台稽古と進み、いよいよ3月3日「十八代目中村勘三郎襲名披露」初日となりました。襲名ということで楽屋の中はいつもと違って物々しい雰囲気。人も多いし取材のクルーも大勢。
初日の口上は黒御簾から拝見しましたが、皆さんの思いのこもったお言葉で私も感無量でありました。お客さんも感激で涙っぽい雰囲気の中、いつものように左團次さんが期待通り笑わせてくれまして楽しかった。いや〜豪華な口上でした。
3月の筋書に「新勘三郎の歩み」というコーナーがあって、この中の写真に昭和60年9月22日、子供歌舞伎教室で演じられた「俊寛」の写真があります。この時のお稽古で私の「勘三郎邸稽古場土下座事件」(楽屋日記4月16日)があったわけですが、懐かしいですね。
3月の仕事は「一条大蔵譚」「鰯売」に中日から「盛綱陣屋」と襲名披露狂言3本でした。襲名披露公演2ヶ月目の今月のお仕事は「与話情浮名横櫛」に「籠釣瓶」と大物ふたつ。「籠釣瓶」では私は、浪宅のあとのつなぎの「騒ぎ」から弾いていますが、これを弾くと「籠釣瓶」やっているんだなぁという実感がわいてきます。
日によって唄の文句に役者さんの事を唄いこんだりしていますので聴いてみて下さい。
バックナンバーに「籠釣瓶の黒御簾」がありますので、これも参考にご覧になって下さい。
4月16日
4月歌舞伎座もようやく中日を過ぎました。
先週土曜日、夜の部が終わったあと真っ盛りの隅田川の桜を見ながら浅草から自宅まで歩いて帰りました。浅草に着いたのが夜10時頃でそれからぶらぶら歩き出したんですが、まだまだ人は多いし、あちこちで大きなシート敷いて大勢で賑やかにワイワイやっていて羨ましいかぎりです。
「籠釣瓶」でも「夜桜や〜」という唄が出てきますが、きれいな夜桜見物しながらのぶらぶら歩き、気持ちの良い夜でした。

桜橋の手前あたり
毎週土曜日12時半からNHK教育テレビで「日本の伝統芸能・歌舞伎入門」が放送されています。
片岡愛之助さんが案内役を勤められていますが、本日4月16日放送分「歌舞伎の音」にわたくし出演しております。
先月の10日に収録があったんですが、この日は国立劇場養成課の発表会がありまして「黒髪」のタテを弾かせて頂いたりちょっとバタバタしていた日でした。この会が終わったあとNHKに向かいまして夜9時頃から打ち合わせ後収録という予定でしたがずいぶん遅れまして私たちの収録が始まったのは10時半過ぎでした。この放送では画面にうつりますから私たちもしっかりメイクされて本番開始。
長唄「五郎」の抜粋を愛之助さんが踊って、黒御簾の解説実演とやる事はトータルで10分ちょっとのことですが、打ち合わせにテスト、本番と結構時間がかかりまして終わったのは日にちが変わって0時半。本番中はかなり緊張していますからそんなに感じないのですが終わると気が抜けて眠い事。久しぶりにNHKからタクシーで帰ってきました。
去年大晦日に掃除機が壊れましてその日に「サイクロン式」の掃除機を買った、というのは前の日記に書きましたが、この掃除機がどうもカーペットに向いていなかったんですね。うちはほとんどカーペットなので何度掃除機をかけてもきれいになった感じがしません。
何となく不満が募って「…もうダイソン買っちゃおうか!」ということに家内とも意見一致してかねてより欲しかった「ダイソン」買っちゃいました。
あのスケルトンのデザインはマッキントッシュに通じるところがあって、家電製品なんてそんな興味ないのにこの「ダイソン」の掃除機だけは前から気になっていたのです。そんなわけで我が家へやってまいりました「dyson」(やっぱりこう書かなくちゃ)

しばらくこの外箱見て惚れ惚れしていたんですが、これマッキントッシュのパッケージに似ているんです。

これが本体です。ロボットみたい。
実際の使用感はどうかというと、売り文句の一つであるクリーンな排気ですが、これがびっくりでなるほど掃除機特有の排気のホコリ臭さがしません。本当にきれいな空気が出てきます。吸引力も強いしホコリが吸い取られて透明部分に集まってクルクル回っているのがどんどんたまってきて「こんなにゴミがあった!」というのが目に見えてわかります。吸引力の強い分、音は結構騒々しいです。
まぁとにかく面白い掃除機で、ホースの収納や付属品の収まり方など実によく考えられています。
「dyson」って、半蔵門の駅から国立劇場に向かう角に事務所があってスケスケの掃除機がウィンドウにたくさん並んでいます。ご観劇の折りにはこちらもご覧になって下さい。

襲名のお扇子と手ぬぐい
紋の入った白い風呂敷はお弁当を包んであったものです
5月17日
ゴールデンウィークを過ぎて5月も半ばというのに、先週は寒かったですね。
忙しかった4月公演が怒濤のように終わり、休み無く26日から「研辰」の稽古。はじめの2日間は墨田区の大きなスタジオでやりまして、28日からは歌舞伎座の舞台で大道具、照明など本番通りの稽古。稽古中私たちは歌舞伎座一階の最前列に机を出して音を出していましたが、歌舞伎座の最前列で「研辰」を見るというのは実に新鮮な体験でした。何といっても歌舞伎座の最前列なんていうのは学生の時以来、20年ぶりくらいですから。
「総ざらい」から黒御簾に入りまして、いつもの横から見る状態になったら、それまでの稽古で正面から見ていてちゃんと見えていた動きや出入りが見えなくなったり台詞が聞き取りにくくなったり、その辺に慣れるのにまた一苦労。まぁとにかくドドッと稽古が進みまして5月3日に初日が明きました。
稽古中に風邪っぽくなって咳をすると胸が痛くてガサガサいうような状態になりました。幸い扁桃腺ではないようなので熱も出ず、まぁ普段通り生活をしていたんですが、ある日夜中咳が止まらなくなってひどく呼吸が苦しくなりまして、寝ていてひゅーひゅーいっていて苦しくて寝られない。次の日医者に行ったら「気管支炎で喘息起こしています」とのことでした。注射に点滴、吸入の3点セットをやってもらって、「喘息」の薬というのを初めてもらってきましたが、思いのほか長くかかりまして胸のヒューヒューが消えるまでに10日くらいかかりました。「気管支炎で喘息」なんていうのは生まれて初めてですからちょっとびっくりしました。それにしても苦しかった。
今月の仕事は「研辰」一本なので、久しぶりに(本当に何ヶ月ぶりだろう)昼間まとまった時間が出来まして、連休中はずっと大掃除。
稽古中に1日奇跡的!に早く上がれた日がありまして、帰りがけに家内と待ち合わせて南千住で途中下車。お昼でも、と思ってまず浮かんだのが鰻の「尾花」。
休日だったのでお休みかと思いましたが営業中で、これまた奇跡的に待たずにすぐに座れました。焼鳥でビールに白焼きと鰻重、という極楽コース。2年ぶりくらいに来たんですけど美味しかったです。途中千住の回向院に寄って鼠小僧と直侍のお墓にお参り。南千住の駅前というのはゴチャゴチャした町並みの中に「モツ焼き」「煮込み」「ホッピー」など魅力的な文字が一杯並んでいます。ここら辺の大衆酒場巡りもしなくちゃ。
えー、突然ですがこれはなんでしょうか?
ずいぶん長い事見ていまして写真も40枚くらい撮ってしまいましたが面白くって見飽きません。是非皆さまも本物をご覧になって下さいませ。