11月5日
 
今日は一の酉、浅草には熊手を持っている人がたくさんいました。こんな不景気なご時世に、中には「これはいったい、いくら位するのだろうか?」というような、かなり大きい熊手を抱えている人もいるのですが、景気づけにスカッとでっかいのを買っちゃったのでしょうね。
 芝居の方は五日目を迎えました。稽古を全部休んでしまった私にとっては初日からの三日間は、附、総ざらい、舞台稽古という感じで結構緊張しました。特に初日は本番前に一通り皆で復習うものの私一人ぶっつけみたいなものです。
 配役についても「高麗屋さんの素襖落」という認識しかありませんので、舞台に行くまで他に誰が出ているのか全然知りませんでした。ですから又五郎さんが出てきたときには「おっ!大名は又五郎さんだったんだ」なんてちょっとうれしくなったり。
「素襖落」は今までに何回もやっていますから弾いているうちにいろいろ思い出してきますが、所々怪しいところもありますのでそれから二日間は自分なりに整理をして今は安心して弾けるようになりました。
しかし久しぶりに歌舞伎座に来ましたがやっぱりここの舞台は大きいですね。

11月14日
 
先週は11日に国立小劇場で養成課の発表会がありました。
今回は歌舞伎俳優研修生が鳴物、長唄、日舞、芝居、太神楽研修生がお囃子の発表をしました。私が関係したのは「小鍛冶」と「引窓」で「小鍛冶」の方は研修生が鳴物を勤め、私たちはその地弾きです。
 山台の下段には鼓7人、太鼓3人(大鼓、笛は助演)の12人の大編成に対して上段の私たちはというと3梃3枚。セリの合方など総ヅレのところで全員が掛け声を掛けて一斉に打ち出すと、私たちの音はすっかりどこかへ行ってしまい演奏している自分の音も聞こえなくなるほどで、打楽器のエネルギーというのは大変なもの。

「引窓」は又五郎さん指導で、今回は全員黒紋付を着ての素の芝居です。又五郎さん指導の「引窓」というのは何だか最近やったことがあるなあ、と思ったら8月の「音の会」でやったんですね。
「引窓」の黒御簾の用事というのは幕明きから始まり、二人侍が引っ込んだところで一度楽屋に帰り、あとは幕切れ近くまで用事がありません。稽古の時のことですが二人侍が引っ込んでから30分くらい時間がありますので稽古場を出て楽屋食堂でアイスクリームなどを頂いて再び稽古場へ戻るとどうも芝居をしている顔が何だかさっきと違うような気がしました。濡髪長五郎がほっかむりをとったらずいぶん顔が変わるんだなあ。おっかさんの声も違うような気がするし・・なんて考えていたらそのはずで、主な四役はダブルキャストだったのです。
 この発表会で先週は忙しく過ぎてしまい、12、13日は臨時で「壷坂」のカゲを弾いてきました。しかし「壷坂」という芝居はずいぶん久しぶりのような気がします。話に聞いたのですが、初お目見えの中村優太君が観世音で舞台に登場したときに「成駒屋ぁ!」と大向こうがかかったら「はい」ってお返事しちゃった日があったそうです。

11月21日
 
今日は子供歌舞伎がありました。子供歌舞伎というのは小学生、中学生くらいを対象に(学校単位だったり個人だったり、この辺のしくみはよくわからないのですが)、昼の部開演前の9時から10時頃までの間に芝居を上演するものです。出演するのは若手の役者さんでその月の出し物の中から1時間くらいの芝居や舞踊をやりますが、今回は染五郎さんの「素襖落」でした。今月、夜の部でお父さん(幸四郎さん)がやっていますのでこちらが弾くことは変わらないのですが、親子で微妙にきっかけの取り方、ノリが違うのは面白いですね。

 とにかく今朝は絶対寝坊できないので、6時半から起きていましたので昼間の眠いこと眠いこと。来月の稽古割りも出ましたし(私は12月は歌舞伎座の夜の部にいます)いよいよ今年も押し迫ってきましたよ。

11月23日
 
トップのページにアップした望月太左衛師主催の「光響会」に行ってきました。うちの家内の出番は早い時間なので9時頃、5656(ごろごろ)会館入り。ここの「ときわホール」というのには初めて来たのですが、こじんまりしていて見やすいホールでした。
 幕明きは、家元望月太左衛門、望月長左久御兄弟による「着到」です。
「着到」というのは芝居の開演30分前に、太鼓、大太鼓、能管で演奏されるお囃子で、序幕の芝居に用のある時には楽屋にいて毎日自然と耳に入ってくるものです。今劇場の開場は開演30分前ですから開場と同時に客席に入ればかろうじて聞くことが出来るのですが、普段ではまず聞く機会のない演奏でしょう。劇場の一日の始まりを感じさせる緊張感のあるもので、私も黒御簾の準備があるときなど、そばで聞いていますが気持ちのいい音ですね。
 そのあとは里神楽、江戸祭囃子など興味深いものが続き、うちの家内の出番。「小鍛冶」の太鼓と「正札附」の鼓で出演したのですが、まあどうやら!??無事に終りまして、私はここで一旦失礼して帰宅。
 夕方いつものように芝居に出掛け「素襖落」が終わったあと浅草に戻ると、ちょうど会が終わったところでした。その足で打ち上げにお邪魔したのですが打ち上げの会場は「草津亭」という浅草の有名な料亭の地下の「バーラウンジ草津」で、来た人から飲んだり食べたりしているうちに家元、長左久さんがおいでになり、暫くして太左衛先生登場!今日一日出ずっぱりだったのに打ち上げでもパワー全開!本当にエネルギッシュな方です。
 大騒ぎのうちに夜は更けて、私たちは11時半頃失礼したのですが、太左衛先生、家元、長左久さんをはじめ大勢の方がそのまま三次会に突入したそうな。

おまけ
ここ「草津亭」の卵焼きがかねてより美味いということを聞いていて、食べたいなぁと思っていたのですが、本日念願叶いその卵焼きを頂くことが出来ました。美味しかった。

11月24日
 
夕方、歌舞伎座でお仕事を終えられた太左衛門さんに昨日のお礼を申し上げて、「素襖落」が終わったあと、今度は楽屋口で長左久さんにお目にかかりました。


「どうも昨日は家内がお世話になりましてありがとうございました」

長左久さん 
「どうも昨日はお疲れさまでした。そのあとは酔っぱらっちゃってて失礼しました!」

11月25日
 
千龝楽。
今月は「素襖落」だけだったので何だかひと月が早く終わってしまったような感じです。楽屋では顔見世の荷出しがあり皆慌ただしく動き回っていました。あとひと月で一年終わっちゃうんですねぇ。

11月26日
 
今日、明日と法事が続きます。
今日は私の流派「芳村、杵栄」の九代目家元三世杵屋栄蔵師三十三回忌、その御子息四世杵屋栄蔵師の十三回忌の法要です。
三世杵屋栄蔵師は明治23年生まれ、昭和42年没。二十歳代で歌舞伎座の立三味線になり、長年にわたり歌舞伎界、長唄界に君臨した方です。古い舞台写真(七代目三津五郎さん、七代目幸四郎さん、当代歌右衛門さん等の舞踊の舞台)を見ると当時の方としては背が高く、頭はツルツル(すみません)で伏し目がちにして三味線を弾いていらっしゃる、そのお姿を見ることが出来ます。日本橋の堀留町にお住まいがあったので「堀留の家元」。そのことから「芳村、杵栄」派は芝居内や長唄界では「堀留」とも称されます。先輩のお話を伺うと人柄、芸風何事にも大きくて豪快な方だったそうです。四世栄蔵師は三世の御子息で、私も芝居に入ったころ御一緒させていただいたことがあります。お寺で法要のあとのお食事会ではいろいろ思い出話で賑やかになり、伺っていると面白いことが沢山ありました。
終わってから歌舞伎座の稽古。「大杯」は初めてです。

11月27日
 
今日は芳村五郎治師の七回忌法要です。
五郎治師の最後の舞台は平成5年11月の国立劇場で「お目見えだんまり」の大薩摩に出演されていました。初日を勤められてから体調を崩され入院、お亡くなりになったのは平成5年11月25日、御年92歳でした。私はその時黒御簾にいて大薩摩を聞いていたのですが、いつもと変わらぬお声でそのお歳を考えると「いやぁ、すごいな」と思いました。亡くなるその月まで現役で舞台を勤められたというのは、本当にすばらしいことですね。私も芝居に入って10年くらい御一緒させていただいたのですが、沢山の思い出があります。

12月2日
 
歌舞伎座初日です。
12月に東京にいるのは久しぶりですね。今月の私の仕事は夜の部の「大杯觴酒戦強者」と「籠釣瓶」です。「大杯」は初めてですが、広間での呑み比べから正体が割れて物語になる件の團十郎さんがとても面白いです。
「籠釣瓶」は2年ぶりですが、約2時間黒御簾に座りっぱなしの弾きっぱなしで、やっぱり大物です。
何度やっても「籠釣瓶」は大変だぁ。

12月12日
 
今朝、マンションのエレベーターを降りると、一階のエントランスに大きな白いクリスマスツリーが飾ってありました!
今月は夜の部にいるのですが、團十郎さんの「大杯」は仁に合っていていいですね。広間の場の猿之助さんとのお酒の飲みくらべから、才助(團十郎さん)の正体を見顕わすあたりが緊張感があって面白いと思うのですが、ここに私が一人で弾いている「上下(うえした)」という仕事があります。黒御簾でお琴入りの合方が終わると、上手に行ってチョボ床に上がり、台詞の間で弾いている竹本のメリ(合方)を竹本のお三味線と一緒にチョボ床で弾くのです。

 これは附帳には「床(チョボ)と上下」と書きまして、義太夫狂言で役者の台詞、または仕科の間に弾く床の「めりやす」の合方に黒御簾の三味線(一梃)が合奏するものです。竹本のお三味線が弾くのにぴったり連れて、雰囲気も同じように弾かなくてはなりませんので、チョボ床や上手の幕だまりなど竹本の三味線弾きさんの撥が見えるところで同じ旋律を上調子(五度高い調子)で弾きます。
 太棹の低い音(下)と細棹の高い音(上)を弾き合わせるので「上下」というのではないかと思いますが、音にふくらみを出して効果を狙ったものです。この「上下」が附いているのは芝居の盛り上がってきたところや幕切れに多く、代表的な物では「俊寛」の立廻り、幕切れで弾く「千鳥の合方」、「吃又」「石切梶原」の幕外の引っ込みで弾く「春動(しゅんどう)」などがあります。今月弾いているメリは酔っているような雰囲気を出すものでなかなか難しいですが、うまく弾けると気分がいいです。
 客席からは見えませんが、私は竹本の三味線弾きさんのすぐ隣にいます。とにかく目立たないようにサッとチョボ床に入り弾き終わった後もスッと退出しているのですが、ひょっとすると明かりの具合で横の簾越しに見えているのかなぁ。
皆さん注意して見てみてください。

羽子板市

12月18日
 
中日を過ぎて、だんだん日が経つのが早く感じられてきました。
1月の松竹座の稽古割りが出ましたが、お正月から大阪に行くというのは大変です。私も以前、2年続けて1月の中座に行ったことがあります。一回は鴈治郎さんの襲名の時で1月、2月と二ヶ月居続けでこれはずいぶん長く感じました。あとは勘九郎さんが「大江山」をやったときで、この時は曲を覚えるのが大変でした。大晦日、元旦と家に帰ってもずっと復習っていたという記憶があります。

 鴈治郎さん襲名の時は12月30日に稽古が終わったのですが、くたびれてしまったのでそのまま大阪で年を越してしまいました。何人か帰らない人がいたので、大晦日に黒門市場に買い出しに行って、ホテルの部屋でお雑煮作りの仕込み。
(私はトースターを持って来ていたのですが、何と電磁調理器を持っている人がいたのです)
夜は京都に出かけておなじみのお店で飲んだり食ったりしているうちに除夜の鐘を聞き、終夜運転の京阪電車で大阪に戻ってきました。
元旦は昨日つくったお雑煮をいただいて、ミナミをぶらぶらして過ごしてそのまま初日を迎えたということがありました。しかしホテルで新年を迎えるというのはとても寂しいものです。

昨日から、浅草で「羽子板市」が始まりまして、芝居の帰りにちょっと寄ってきました。

12月19日
 
今日は「全国学生長唄連盟」の演奏会。
これはいろいろな大学(全国とついていますが全部東京にある大学でうち高校が一校参加しています)の「長唄研究会」が集まっての年に一度の演奏会です。
私も4年の時に幹事長を勤めたりしまして学生連盟にはいろいろ思い出があります。
 今日は行ったと言っても聴きに行ったのではなく、私の母校、日大芸術学部の演奏の後見です。普段の稽古はうちの家元、八代目芳村伊十郎師がしていらっしゃるのですが演奏会当日にご都合があるとのことで、三日くらい前にお電話を頂いて私が替わりに行くことになりました。私も日芸のOBとはいっても卒業して15年。現役の学生さんの顔も知らないし今回の演奏の稽古も一度も聴いていないのでちょっと不安だったのですが(向こうも不安だったと思う)、楽屋で三味線の支度をしながらおしゃべりをしてうちにまあ何となく気心も知れ、いよいよ本番。
 出し物は「藤娘」でした。多少危なっかしいところもありましたが無事に終わり、みんなホッと一安心。山台の後ろにいるうちに、何だかとても懐かしい気分になりました。部員数が減って活動が大変なようなのですが、これからも頑張って欲しいと思います。
今日はお疲れさまでした。

日本大学芸術学部長唄研究会の皆さんと

12月23日
 
今日は午前中、サイクリングに行ってきました。

今月一緒に仕事をしている三味線弾きの人で、やはり自転車の好きな人がいまして、前から「一度走りに行きましょう」なんて話をしていたのですが、いいお天気なので行くことにしました。
 荒川の河川敷を上ってみようということになり、朝9時半に東武線堀切駅横の土手を出発。上流から吹いてくる北風は結構厳しく風を通さないウェアを着ていたので体は暖かいのですが、足のつま先が痺れるくらい冷たくなるのには参りました。ツーリングシューズはメッシュなので風が通りますから仕方ないのですが、途中休んで足のマッサージをしないと感じなくなってしまうのです。あと久しぶりに乗ったので腰が痛いのです。レース用の自転車のポジションはかなり前傾姿勢を取りますので、これを維持するには背筋を鍛えていないとだめなのだそうで、いつもは2,3日続けて乗っていれば慣れてしまうのですが久しぶりだとやっぱりきつい。おまけに逆風に向かって走るのですから大変です。

 荒川の河川敷はよく整備されていて、道は広いし舗装がよいので快適に走ることが出来ます。休日ですからグラウンドはすべて使用されていて、野球やサッカーをする人たちでいっぱいで賑やか。
 東武線、常磐線の鉄橋をくぐり千住大橋、西新井橋、扇大橋と快調に走り続け鹿浜橋(環七)を過ぎると河川敷には都民ゴルフ場が広がります。お天気がいいのでみんな気持ち良さそう。しばらく行くと隅田川と荒川が合流?して大きな鉄橋を越えたなと思ったら、これが京浜東北線や高崎線の鉄橋でこれを左に行くと赤羽駅とのこと。ここからまた横はゴルフ場となり前方に出てきた鉄橋を見ると、東北新幹線が通り過ぎて行きました。この鉄橋を右に行くと埼京線の戸田の駅、今年巡業で来たところです。先には戸田の競艇場が見えます。
 そろそろ走り出して約1時間、距離を見ると約18キロ。こりゃ思えば遠くに来たもんです。あまり頑張っちゃうと夜の「籠釣瓶」に影響が出るので、今日のところはまあこの辺で引き返すことにしました。
 帰りは追い風にのって実に快適!日差しをまともに受けるとちょっと暑いくらいで気持ち良かったです。スピードもよく出て行きの半分くらいの時間で帰ってきました。往復で約36キロ走ったわけですが、プロのサイクリストはレースで1日に150キロとか200キロ走るのだからすごいですね。
気持ち良く汗をかいてスキッとしたのですが、夕方になったら結構くたびれてきて腰は痛いし、案の定「籠釣瓶」の時はしんどかったです。

12月30日
 
26日に歌舞伎座が千龝楽になりました。千龝楽というのはいつでも慌ただしいものですが、舞台の方はばらしで大変です。
 今月「吉例寿曽我」石段の場で使っていた舞台一杯の大石段ですが、あれは裏を鉄骨で組んである大掛かりなものなのです。昼夜の間にこれのばらしが始まって、バリバリすごい音を立てて数人がかりで板をはがしたりしていました。
 歌舞伎座の筋書きに載っている上演記録によると、私は今月のを入れて9回「籠釣瓶」のカゲを弾いたことになるのですが、何回やってもこれは大物です。

 27日からは歌舞伎座と国立劇場の稽古が始まりました。歌舞伎座では大勢で吊り物の埃を落としたり大掃除も大変です。所作板も削り直したので舞台はピカピカでとてもきれいでした。
 来月の私の仕事は歌舞伎座、昼の序幕の「廓三番叟」をやって国立劇場の「嫗山姥」に行きます。したがって稽古中も稽古割を見ながら木挽町と隼町を行ったり来たり。両方とも時間的には短いものなので稽古も順調に進み、29日に年内の稽古終了。
 30日は我が家の大掃除。二部屋が納戸状態で荷物がごちゃごちゃなので、これを全部崩して徹底的に片づけ開始。どうやら年内には片づきそうな目処が立ちましたが、どうも我が家には余計なものが多すぎるようです。今度フリーマーケットでも開こうかな。午後買い物で浅草に行き、洋食の「ヨシカミ」に入ったら、コロンビアトップさんが着物姿でお食事をしていらっしゃいました。

12月31日
 
うちではお正月にお節料理というのはほとんど食べたことがありません。お雑煮とお煮しめ、美味しいロースハムでもあれば十分なのですが、昨日からお雑煮の仕込みを始めました。大根、にんじん、里芋、椎茸、蓮根を入れた醤油味のおすましに鴨肉を入れるのが我が家のお雑煮です。作ったそばから食べているので元旦にこれが残っているのか我ながら心配です。

 夕方からはお蕎麦を食べに浅草に行きました。
うちは並木の薮蕎麦に行くのがお決まりとなっています。古今亭志ん朝さんも常連で、お兄さんの故馬生さんもそれに輪をかけた蕎麦好きでここの店が好きだったそうです。以前何かの雑誌で播磨屋さんがここのお蕎麦が好きで、年越し蕎麦を食べに行きます、とというようなことを読んだことがあり、私も毎年行っていますがまだお会いしたことはありません。さらっとした濃いつゆに生粉打ちのそば、特にこの時期にはここの「鴨南蛮」は美味しいです。お酒を一本もらって、家内とやったり取ったりしながらおいしいお蕎麦を頂いてきました。

そのあと上野に出てアメ横をぶらぶらしていたのですが、最後の追い込みですごい活気がありました。「車エビ25匹で1000円」とか「タコ二つで800円」と声の飛び交う中、マグロのお店があり、「大トロ7800円」「中トロ4500円」とか大きなブロックに切って置いてあるのですが、いきなり目の前で「どれでも2000円にするから持っていきなよ!」といわれ、「買った!」てんで予定になかった大トロをゲットしてきました。お雑煮に飽きたらこれでご飯を食べようと思います。

 今年の3月から始めた「BEN'S CORNER」ですが、5000人を越える方に来ていただき、たくさんの方からメールを頂きました。
当初はいろいろな操作がわかりませんから更新一つするにしても大騒ぎで「こりゃ大変なものを始めてしまった」と思っていたのですが、この頃慣れてきてようやく楽しくなってきました。
来る2000年も気の向くまま書いていこうと思っていますので、お時間がありましたらまた遊びに来てください。

今年一年ありがとうございました。

皆さん良いお年をお迎えください。