4月28日
金毘羅から帰ってきて1日休んで27日は舞踊会の下浚い、今日28日は藤間宗家の稽古場で時蔵さんの「鷺娘」の稽古がありました。
この本番は明日29日、茨城県潮来の長勝寺で行なわれる「船屋台・潮来座」という催しで、郷土芸能、端唄、狂言、時蔵さんの「鷺娘」が上演されます。チラシには水上の舟の上に能舞台が乗っているイラストが書いてあって、「なるほど船屋台か、水上舞台なんだ」と思ったら、ゆくゆくはこのような水上の舞台を設けたいということのようでまだ出来ていない様なんですね。時蔵さんのお話では、お寺の境内の屋外ステージ?みたいで、明日行ってみないことにはよくわかりません。
詳しくは、また明日報告します。お楽しみに。
4月29日
潮来座当日です。
上空にマイナス24度の寒気団が来たそうで、前日より6度も気温が下がりました。午後からは晴れるというのですが、今のところ天気はすっきりせず雨が降ったりやんだり、こんな天気で屋外のステージというのは思いやられます。
仲間が車で迎えに来てくれて9時50分出発、潮来までは約100キロの道のりです。ゴールデンウィークの始まりで東関道が混むのではないかというので早く出ましたが何のことはない、道路はがらがらで平均時速140キロで走り続けて、11時には潮来到着。皆用心して早く出たので20分くらいのうちに全員集合。

会場の長勝寺というお寺はかなり古いお寺のようで庭園では牡丹、藤、おおでまりが見事な花をつけていました。東京より気温はだいぶ低く、お寺の別棟が楽屋だったのですが、なにぶんお寺なので外との仕切りは障子1枚、部屋はじーんと冷えています。石油ストーブがだんだん効いてきて暖かくなりましたが、このままの気温で夜の屋外での本番はちょっと思いやられます。 2時半から舞台稽古だったのですが、この頃になると青空が見えはじめ舞台稽古にかかるころにはすっかり晴れてしまいました。チラシに出ていた「船屋台」ですがこれはやはり将来はこのような舞台を設けたいということのようで、今回は本堂の前の特設舞台でした。
晴れたものの風は冷たく舞台に座っていると、とにかく寒い!。
時蔵さんは素での舞台稽古だったのですが、風で傘が飛ばされそうになったり、雪が花吹雪のようになってしまったり、今日はぶっつけ本番に近い状況ですからスタッフも対策を練るのに一苦労。4時頃舞台稽古が終わりましたが手はかじかんでコチコチだし夜はかなり防寒対策をしないと風邪を引きそうな感じです。
本番まで4時間あるので町中に出ましたが、途中潮来の水郷めぐりの看板を見つけて急遽水郷めぐりの観光へ。水郷の船頭さんは皆着物を着たおばさんなんですね。船に乗り込むと常陸利根川を横切って水門を二つくぐり細い水路へ入っていきます。この二つの水門の間はドッグの様になっていて水位を調節して舟を出し入れします。この細い水路は住宅の中を通っているので川との水位を調節しないと水浸しになってしまうんですね。30分の短いコースでしたが静かな水郷を満喫してもとの船着き場へ。
「潮来出島の真菰の中に菖蒲咲くとはしおらしや、サーヨンヤサ、アアヨンヤサ」
船頭さんの話では昔は川の岸に真菰とアヤメが群生していたそうですが今は護岸が出来て無くなってしまったそうです。町中を車で走っていたら「ホテルまこも」というのがあって笑ってしまいました。帰り道大きなスーパーで夜に備えてTシャツを買って会場に戻ります。
6時半「潮来座」の幕が明きました。雲一つない空にはいいお月さまが煌々と光っています。民俗芸能の「鷺舞」、本條秀太郎さんの端唄(本條さんはここ潮来の御出身で、この公演の総合プロデューサーです)、大蔵流狂言「月見座頭」そして歌舞伎舞踊「鷺娘」となりますが、昼間の予想通り日の落ちたあとは大変な冷え込みかたで、ホカロンを背中にいれたり重ね着をしたり各々暖かくして本番へ。月夜の「鷺娘」はなかなか幻想的できれいでした。
「いやー、こりゃなかなか乙な雰囲気ですよ、どーも」なんて弾きながら見ていたのですが、そのうち手の甲が冷たくてかちかちになってしまい、後半はかなりしゃかりきになって弾いていました。終演後カーテンコールがあって「潮来座」は大きな拍手のうち幕となりました。

藤の枝に塗り笠、高足売りの天秤棒
5月4日
今月は久しぶりの長期休暇、「楽屋日記」は仕事場を離れて思いつくまま参ります。
◎初めて見た歌舞伎
初めて歌舞伎に連れていってもらったのは昭和44年9月の国立劇場で、八代目松本幸四郎、中村勘三郎出演の「蔦紅葉宇都谷峠」の通しでした。
小学校1年の時で、歌舞伎が何かもわからない頃でしたが、父に「お化けが出るから」と言われて行ったのではないかと思います。臆病なくせに怖い映画、怪談の類いが大好きな子供でした。
筋書きを読んでもさっぱりわからないし、半分くらいは寝ていたようですが、そんな中で強烈に印象に残っているのが「回り舞台」と「大向こう」です。
回り舞台にはびっくりしました。あんな大きなものが回るなんて思っていませんから、見ているうちに舞台が廻りだして、宿場の店先から寂しい峠へと変わっていくのは子供の目にはなかなか刺激的です。しかしこれも店先や座敷のような変化のない道具が続くとだんだん退屈で眠くなってくるのです。
ところが山中の場とか、大きな南無妙法蓮華経の石碑が立っている、というような舞台に変わると子供心にも何が起こるのだろうか?と、どきどきしなが見ていたような記憶があります。
この時は二階席で見ていたのですが、何度も何度も頭の後ろから「高麗屋ぁ」とか「中村屋」と大きな声を出す人がいて、こりゃ一体なんだろうと思っていました。
父曰く、「これは大向こうというもので、芝居のいいところにきたら役者の屋号を ◎×☆やぁ! って掛けるんだ」
そんなことをいわれても何が何だかさっぱりわかりません。大きな声で掛かるたびに眠りを妨げられるのですがそれは、決して不快なものではなく何だか妙に耳に残るものでした。
それから何年かして初めて歌舞伎座に連れていってもらった時に同じ声を聞きまして、「あ、この大向こうの声はどこかで聞いたことがあるな」と気がつき、高校くらいになって、あの声の主は森さんという大向こうの名人だったことがわかりました。
実はこの時のことを作文に書いてそれがまだ残っているのですが、今読むと芝居の段取りをまぁ細かく追って書いてあって、小学1年生の書いたものにしては難しい漢字が多い変な作文です。
(今度実家に行って探してきます。見つかったら掲載してみようかな)
初めての歌舞伎体験は半分くらい眠っていましたが、肝心のスッポンから上がってくる幽霊もちゃんと記憶にありますし、チョンといってから背景の黒幕が落ちて朝になった、なんていうのも実に鮮明に覚えています。
私が現在この世界で働いていることを考えると、この歌舞伎初観劇はなにがしかの影響を及ぼしたのでしょう。

5月17日
7日から13日まで、家内とオーストラリアに行っていましたので、楽屋日記もすっかり間が空いてしまいました。
はじめはパワーブックを旅行に持っていってオーストラリアから旅日記をHPにアップするという初めての海外モバイルに挑戦しようと思ったのですが、海外からのローミングではHPの操作にいろいろ制約があるようで持っていくのをやめました。
そのかわりにお気に入りのカメラ(30年くらい前のローライフレックス3.5F)とデジカメを持っていって写真はたくさん撮ってきましたので旅行記と写真は別コーナーでアップしようと思っています。
今月は余るほど時間がありますので、かねてより三味線に触ってみたいという友人や身近な方をお誘いして三味線の短期講習を計画しまして、旅行から帰ってきて翌々日がその稽古日になっていました。帰ってくるなり大掃除、15日には6人の方が短期講習に参加されました。
私も以前にお稽古をしていたお弟子さんが3、4人いたのですが、皆新派や新劇の女優さんだったので忙しくなってくると私より地方公演が多かったりで、この頃はすっかり御無沙汰しておりまして稽古もずっと開店休業状態でした。
というわけで久しぶりの稽古だったわけですが、自分の教わってきたことを人に伝えるというのは本当に難しいことだとあらためて思いました。
未経験の方がほとんどだったのですが、初めて三味線を構え撥を持って空振りをしていた撥がだんだん皮に当たってくるのを見ているとこちらも嬉しくなってきます。
弾いている御本人も、ちょっとした撥の角度の変化で音が変わったり、確実に撥が皮をとらえた感触が自覚できると「おっ!!」という感じになり、パチパチ弾いているうちに1、2時間あっという間に過ぎてしまいます。
皆さん1回目で結構形になりましたので、今回の目的「3回の稽古で短い曲を弾けるようになろう」は実現できそうです。稽古の終わり頃になって、飛び入りの親戚のお兄ちゃんがやってきて、遅い時間にお稽古に来た人も混ざってすっかり宴会となってしまい賑やかなうちに夜は更けていきました。
5月31日
一ヶ月のお休みも終わり今日から三越劇場の稽古が始まりました。約ひと月ぶりに持つ着物と三味線かばん(三味線弾きの基本セット、重量は合わせて15キロくらい)の重いこと重いこと。
松竹の稽古場というのは、以前は築地の松竹本社の7階にありましたが、昨年の暮れに松竹本社が東劇に移転して、現在稽古場は歌舞伎座の楽屋口の並びの「アリス」という喫茶店の地下に移りました。
楽屋口の隣にはんこ屋さんがあって、横に地下に下りる階段があります。この地下は前は「助六」という和食屋さんでしたが、これがいつの間にか無くなって稽古場になってしまいました。私は4月の金毘羅の稽古の時に初めて行ったのですが、使い勝手の良い稽古場です。何といっても歌舞伎座の地下で、本興行中でもすぐに行けるというのが一番いいですね。
久しぶりに仲間と顔を合わせましたが皆元気そうです。少し前より私自身が心配していた私個人の社会復帰状況ですが、今日一日でどうにかノリが戻ってきました。
「藤娘」「高坏」「実盛物語」の順で稽古が進み、「実盛物語」には羽左衛門さんが指導にいらっしゃいました。大きな声でダメを出したり、自ら立って形を直したり熱の入ったお稽古、お元気そうでなによりです。「高坏」では染五郎さんが下駄の「カタカタ」で苦労していました。
明日は夕方4時から稽古です。
6月3日
今日は三越歌舞伎の舞台稽古でした。
1年ぶりの三越劇場ですが、まあここは小屋の規模が小さいですから楽屋も狭いんですね。縦長の七畳くらいの部屋に今月は長唄、囃子合わせて17人入ることになります。今日は舞台稽古で皆同じような時間に楽屋入りしたため、三味線を立てるのもままならぬ状態。支度をして着替えた人からどんどん楽屋を出ていかないと収拾がつかないのです。一遍に楽屋に人が入ったため中は暑いし、20分くらいガチャガチャの状態が続いて落ち着いたころには二丁がはいり11時ちょっと過ぎたころに「藤娘」の舞台稽古開始。
三越歌舞伎をご覧になった方は御存知のことと思いますが、三越劇場の横の出囃子は、長唄は上手に屋台を作ってその中で演奏し、お囃子さんはは花道に出たり蔭での演奏になります。この頃は毎年のことで慣れましたが、初めてのときはずいぶん演奏しにくかったものです。今回は長唄、囃子が一緒に入りますので(普通の演奏形態ですね)いつもより幅の広い屋台に二段の山台が入っています。
「高坏」は正面の普通の山台に長唄囃子がでます。山台に座ってびっくりしたのが舞台の暑さです。ここの舞台はたっぱが低く(歌舞伎座の半分くらいでしょうか?)間口が小さいのに、下がっている照明の数は結構多いのです。頭のすぐ上で100ワット以上の白熱電球を沢山点灯させたようなものですからこれは暑いです。3月の日生劇場の照明にもびっくりしましたが(ここの照明の強さは南の国のピーカンの日差しのようで、供奴が終わると目に残像が残ってしまうのです)、今月もこりゃ大変です。
「実盛物語」の舞台稽古には羽左衛門さんがいらっしゃって、最後の細かい所をいろいろ直していました。
いずれの舞台もあとは皆さま見てのお楽しみ。
いよいよ明日は初日です。
6月7日
4日に初日が明いて5、6日と2回公演が続きましたが、いやーしんどかった。
舞台が暑いのもそれに拍車をかけたようですが、ひと月休んでしまった体を元の状態に戻すのはやっぱり大変です。何が一番大変かというと、舞台上でのあらゆる事に対する自分なりの「勘」のようなものがピンと来なくなっているんですね。それが元に戻るまでというのは本当にきつかったです。そんな状態が二日続いて、6日の夜の部になってようやく、舞台の暑さも気にならなくなり、普段の感じが戻ったような気がしました。
そんな体がへろへろになった時に今日7日は休演日で、三越歌舞伎はこれがありがたいですね。
すっきりしない天気の中、午後から別の仕事の稽古があって出かけました。この仕事というのが、覚なくてはいけない曲(これがまた普段めったに出ないような曲や新曲なのです)、が3曲あってどうも憂うつだったのですが、今日の稽古で2曲は譜面をはずして弾くことが出来たので、かなり精神的に楽になりました。
さあ明日からまた2回公演が続きます。頑張れ頑張れ!
6月8日
さて休み明けです。
どうも昨晩寝ているときからのどが痛いなあ、と思っていたら扁桃腺が腫れていました。扁桃腺が腫れると以前はは大変な熱を出していたのでが、30才過ぎたころから熱が出なくなりました(歳かな?)。
熱が出ないのはありがたいのですが、頭の近くであんなものが腫れるのはやはり多少影響があるようで、今日一日すごい疲労感がありました。幸い今日は「実盛」だけで仕事が上がりだったので助かりましたが、こんなものは早く直すに限りますね。
帰宅してすぐ抗生物質を飲んだらだいぶ楽になりました。
話は変わりますが4、5日前に三越の広告が新聞に入っていて、その中に「日替わりフルーツプレゼント引き換え券」というのがありました。
これは今日から14日まで毎日11時と3時に、日替わりでグレープフルーツ、オレンジ、バナナなどを先着500人にくれる、というものなのですが、ちょうど三越にいますしチラシをもって行ってみました。
昼の部の「実盛」を明けて11時15分頃催事場に行ったら、何と11時の分はもうなくなったとの事。それならというので夜の部が明く前、2時半過ぎたころに行ったら、もうかなり並んでいます。7階の催事場から階段に並んで私は6階と5階の間、最後尾は4階から3階くらいだったようです。のども痛かったし疲れていたのですが、3時まで並んで、私もグレープフルーツ一個ゲットして楽屋へ戻りました。
明日はオレンジです。
6月9日
昨日から腫れていた扁桃腺ですが抗生物質を飲めばすぐ直るだろう、なんて軽く考えていたのですが思いのほか性質が悪かったようです。今朝になっても咽喉の痛みは変わらず、少し熱もあるようで薬を飲んで出かけました。
楽屋に入った頃から薬が効いてきて、眠いし、頭もぼーっとしているし、声は嗄れてくるしひどいことになりました。こういう状態の時に暑い舞台というのは本当に体にこたえます。何だか朦朧としているうちに昼の部が終わりました。
三越劇場に来ていると楽しみなのが食事で、地下の食料品売り場で美味しそうなものを毎日日替わりで食べているとかなりのお店を制覇できます。
2、3日前に鉄人中村孝明さんの「なだ万」でお総菜を買ったのですが美味しかったです(おかずだけで予算オーバーしましたけど)。
買い出しに行って、楽屋で食事をすませ薬を飲んだら少し楽になってきたので、「日替わりフルーツプレゼント」に並んで、今日はオレンジを一個ゲット。
夜の部の「実盛」を明けてからパソコンを持って屋上へ行きました。私はMacのPowerBook2400を使っています。Macで一番小さいノートなのに重さは2キロ、年がら年中持って歩くにはちょっと重いのですが、持ってくると結構暇つぶしになります。
うちの長唄のメンバーでパソコンを使っている人は2、3人です。ほとんどがインターネットなんて見たことないという状態なので、暇な人がぞろぞろついてきて、気持ち良い風の吹く屋上でにわかにインターネット大会になりました。
黒紋付き着流しの私がキーボードを叩いていて、そのまわりで「電気メール」とか「これ国際電話で世界中とつながってるの?」とか訳のわからないことを言っている男が4人、こりゃ傍から見るとかなり変な集団です。
三越の屋上で見かけたら是非声をかけて下さい。
6月12日
私は墨田区の墨田、電車ですと浅草から東武線で五つ目の鐘ヶ淵というところに住んでいます。化粧品の「カネボウ」の前身、鐘ヶ淵紡績の発祥の地。
うちのマンションのすぐ下くらいまで、永井荷風の「墨東奇譚」の舞台になった、玉ノ井の赤線があったそうで、入り組んだ迷路のような路地にその面影が残っています。玉ノ井のいろは通りまで買い物に行って帰り道、マンションがすぐそこに見えるのになかなか帰り着けない、なんて事が引っ越してきたころよくありました。「玉ノ井」という地名も今は「玉ノ井いろは通り」と商店街にしか残っていません。
近所には向島の花柳界や百花園、三囲神社、桜餅の長命寺、「隅田川」の梅若を祀った木母寺、「水神」様の隅田川神社など芝居っ気のある所が沢山あって、散歩がてらにぶらっと歩いて行けます。
とまあ大変ごちゃごちゃした「濃い」下町なのですが、今日はその町内のお祭りで、夕方からお神輿が出てとても賑やかでした。6時くらいから祭り囃子の音が大きくなってきてテレビの音も聞き取れないくらい、それを聞いているうちにだんだん体が動き出し、落ち着かなくなってきて家内とお祭り見物に飛び出しました。
この墨田稲荷神社のお神輿が変わっていまして、行灯のように四方に絵が書いてあって中に明かりが入り、まわりに提灯がぐるっと一周付いていまして、その上には藤の花が飾ってあるのです。「万灯神輿」と言うそうで下町のお祭りのなかでも珍しいもののようです。書いてある絵もそれぞれ違っていまして、芝居の絵だったり民話の主人公だったりきれいでした。すっかり日が落ちて神輿の絵が映えるようになったころから人が増えはじめ、商店街は大騒ぎ。
祭囃子に誘われて飛び出してきた私たちも、暫し祭りに酔ってお神輿を眺めていました。
6月18日
昨日の藤間宗家の「要会」が終わって、やっと覚えものから開放されました。
「覚えもの」というのは私たちの業界の符丁のようなもので、自分の在庫にない覚えなくてはならない曲の事を言います。昨日は長唄が四番あって普通のものは「二人椀久」だけ、あとは新曲(江戸風流)、11年ぶりに出す曲(拳人形)、今回新たに構成し直した曲(梅柳)、というわけで、覚えるまでにずいぶん苦労しました。
肝心の本番では、まあ自然に頭の中で曲が流れる様な状態になっていたので良かったです。(何回か冷やっとしたところがありましたが・・)
私たちの楽屋では、来月の公文協の稽古や荷出しのことで何となく慌ただしい感じになってきました。考えてみるともうあと10日後には巡業のスタート地点、旭川に行くのですから、あまりのんびりしていられないのですね。私もそろそろ附帳を引っ張り出していろいろ調べなくてはなりません。
6月20日
本格的に梅雨に入ったというのにあまり雨は降らないし、ここ二、三日は急に気温が下がって長袖を着てみたり、どうも変な陽気ですね。湿気は困りますがこの気温の低さには多いに助けられていまして、舞台の温度も少し下がってちょっと楽です。
(おっ、目の前を勘太郎さんと橋之助さんの御長男、国生君が通過)
「実盛物語」という芝居、幕を明けて7分くらいで一度用事が終わりまして、次は幕切れ近く、実盛が「馬引けー」というところまでの間が丸々1時間あります。この間、狭くて空気の悪い楽屋にずっといると眠くなるだけで、のべつ欠伸ばかり。
「退屈で退屈で、ふぁ〜ぁ、ならねえと」と欠伸の稽古をしているようでどうもいけねえ、という訳で、一日ずっと劇場にいる日はパワーブックを持って来るようになりまして、只今三越劇場のロビーでキーボードを叩いています。
(今度は三田寛子さんが次男君を抱っこして通過)
先日テレビで「橋之助さん一家の子育て奮戦記」が放送されましたが、生で続きを見ているようで可笑しいです。それにしてもこの間まで赤ちゃんだったのに、子供の大きくなるのは早いですね。
いよいよ巡業の稽古割りが出ました。仁左衛門さんの襲名披露の出し物「吉田屋」「引窓」は去年何度もやっていらっしゃるので、いきなり旭川で舞台稽古、信二郎さんの鳴神は(これは初役なのかな?)東京で3回稽古があります。
明日は月曜日、最後の休演日です。普段の本興行では休みというのはありませんから、今月の3回の休演日というのは本当に助かりました。間違えてくる人がないように頭取さんの後ろの壁に、半紙に「明日二十一日、休演日」と書いて貼ってあります。
最後のお休み、何をしようかな?。
6月26日
3日前くらいからまた風邪っぽくなってしまい喉は痛いし、折からの湿度の高い天候、舞台の暑さにやられて少々息切れしているところに、23日の歌舞伎座の終演後に富十郎さん指導のもとに巡業の「鳴神」のお稽古。パパになった富十郎さん、大きな声でだめを出したり、自ら立って形を直したり相変わらずエネルギッシュです。
10時半頃終わってその日は結構遅くなってしまい、翌24日は午前中、国立劇場の養成課の稽古に行ってから千秋楽の三越劇場へ。
千秋楽の楽屋というのは何か慌ただししいのですが、無事に終わったという解放感で皆楽しそうです。今度封切りになる「スターウォーズ」のおもちゃ(ライトサーベル)を橋之助さんのご長男の国生君が、狭い楽屋の廊下で伸ばして振り回して歩いているのを寛子おかあさんが追っかけていったり、その横で床山さんや小道具さんが済んだものからどんどん荷造りをしていたり、本当に大騒ぎです。
終わってから巡業の荷物を詰めに歌舞伎座へ。おおきなジュラルミンのトランク5個に皆の荷物を詰め、荷出しを済ませて帰宅。
どうも最近私のパワーブック2400の動作が不安定だったので、旅に出る前に一度システムを入れ直しておこうかと思い、クリーンにしてパーテーションを切り直しOS8.6を新規インストール。
使っていたソフトを次々入れ直し、バックアップを戻している最中に、何と爆弾マークが!。再起動しても途中フリーズ、リセットも効かない、文字化けしているし、こりゃクラッシュかなと思ってCDROMから起動させたら無事行けました。でも結局システム再インストールということになり、いやー参りました。
25日は休みだったので、「写真が語る20世紀、目撃者」という写真展を観にBunkamura ザ・ミュージアムへ。Bunkamuraに来るのは去年のコクーン歌舞伎以来です。この写真展では20世紀の歴史に残る有名な報道写真を展示しています。飛行船ヒンデンブルグが炎上する写真、ベトナム戦争から最近の出来事まで大変見ごたえのあるものでした。見ごたえがあるとは言っても内容の重い写真がほとんどですから、見ているうちにだんだん無口になってきてとても考えさせられます。
中にロバート・キャパ、沢田教一のカンボジア戦線やベトナム戦争の写真がありました。この二人の写真は私が高校の頃、真剣に写真の道に進みたいと考えたきっかけになったものだったのでちょっと感無量、久しぶりにじっくり見てきました。
この写真展、7月25日までやっていますので、お時間がありましたら行ってみてください。
今日26日は夜7時半から「鳴神」の稽古があります。